誰もが知っているアメリカの禁酒法時代(1920年〜1933年)。実はこの法はザル法として有名である。禁止していたのは「酒類製造・販売・運搬等」であって、「所有」は禁止していないのである。反禁酒派の議員から猛反対で次のような妥協の条項が盛り込まれていた。
『しかし、家屋が自らの住居としてのみ私的に占有・使用されている場合、その家屋の中で酒類を所有することは違法行為ではない。また、もしそのような酒類が、当該家屋に居住する所有者やその家族、さらには当該家屋において歓待される偽りなき来客のため、私的飲用にのみ使用されるのであれば、その所有について当局に届出る必要はない。(第33項)』
お金持ち達は法の施行の前にたっぷりとお酒を買い溜めしていたという。そして当然のように盛んになったのがホーム・バーである。本棚そっくりのカクテル・ツール(ホーム・バー)がつくられ、アール・デコ・スタイルのバー・ツール(アイス・ペール、シェーカー、ソーダ・サイフォン、スィッズル・スティックなど)やグラス・コレクションを揃えた楽しい時代。禁酒法がなければ生まれなかったのである。
一方、正規の酒屋にとっては当たり前のことだがダメージが大きかった。禁酒法に嫌気をさした良心的なバーテンダーたちはヨーロッパに渡り、アメリカン・スタイルの飲酒文化を広めていった。
ロンドンにナイト・クラブがオープンし、若者たちは夜遅くまでジャズや酒を楽しみ、1889年にオープンしたサボイ・ホテルでもアメリカン・バーが導入され、昼間からカクテルを楽しむことができるようになった。ヨーロッパでのカクテル・ブームに拍車をかけたのも禁酒法だったのである。
ちなみにカクテル・ブックのバイブルといわれる「サボイ・カクテル・ブック」(1930年)を出版したハリー・クラドックがいたのもこの時代。まさに禁酒法がカクテル文化を盛んにしたといえるだろう。