さて、問題をひとつ。中国で確認されている酒の存在は、A)3000年前、B)4500年前、C)6000年前、のいずれか? あなたは、ご存じだろうか。
正解は、C)6000年前。1988年7月13日付「毎日新聞」夕刊にこんな記事が掲載されている。
中国醸造六千年最古の酒器発見:中国新聞社電によると、中国の考古学関係者が最近発見した西省眉県の約六千年前の原始村落遺跡から中国でこれまで見つかった中では最も古い酒器が出土した。また黄河の支流、渭水の流域に位置する眉県馬家鎮楊家村のヤンシャオ時代の遺跡から出土したのは土器製で、中・小の酒杯、ひょうたん形の酒瓶など十点。小型の酒杯は現代の酒杯とよく似ている。このことから、中国の醸造業は五千年の歴史があるとされていた定説が覆され、さらに一千年も古く、ヤンシャオ時代からと確認された。
湖南省の遺跡からは、一万年前の炭化した米が発見されているのだから、もっと古い時代から酒は造られていたはずだが、酒に関する逸話というのが不思議と残っていないようだ。
酒と造った人として中国の歴史に登場するのは、「儀狄(ぎてき)」と「杜康(とこう)」である。「漢事始」「陶淵明集述酒詩」「戦国策」「酒譜」などに記述が見られる。神話として神々が登場する物語がないので、この酒造りで有名な二人が、さしづめ中国の酒神ということになるだろう。
「戦国策」には、「儀狄(ぎてき)」の名前が出てくるこんな一節がある。
昔、帝の女は儀狄をして酒を造ら令め、而して美なり、之を禹に進む。禹飲みて甘しとし、遂に儀狄を疎んじ、旨酒を絶ちて曰く、後世、必ず酒を以てその国を亡ぼす者有らん
帝の禹が、儀狄が作った酒を飲んでみて、旨いので溺れないように酒を絶ち、後の世に酒で国を亡ぼす者が出ると予言したとある。その通りに、17代目の桀(けつ)王が酒色に溺れて湯(とう)に滅ぼされ、商から殷(いん)の時代に移って飲食が盛んになり、30代目の紂(ちゅう)王は酒池肉林の言葉を残して滅亡した。
「杜康(とこう)」に関しては、弁当の飯が半月後に発酵したことから酒造りを考えついたという逸話が残っている。真偽は定かではないが、ちょっとした酒場の話題としては面白いのではないだろうか。
それにしても古い歴史を持つ中国の話である。誰が酒を作ったのか。昔のことだから諸説あって、いずれもあやしいものである。結局のところ、誰が作ったということは分からないし、決められないというのが正解なのだ。