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[ コラム ] 4月-17-2009

 西インド諸島で生まれたラムは、ジャマイカ島を中心砂糖工業が発達したことにより、糖蜜を用いる蒸留業として生産が盛んになった。18世紀になると悲しい人類の歴史の中で世界的な酒へと育ってきた。

 航海技術の進歩とヨーロッパ列強の植民地政策によって生まれた「三角貿易」をご存じだろうか。アフリカから黒人を奴隷として西インド諸島に連れてきて、サトウキビ栽培の労働力とする。そのカラになった船に糖蜜を積み、アメリカのニュー・イングランドに運ぶ。ここで糖蜜からつくったラムを積み込みアフリカへ戻る。そしてこのラムがアフリカの黒人と交換される。これが植民地史上有名な「三角貿易」である。アフリカ黒人の奴隷売買という悲しい歴史の中で、ラムは広がっていったのである。

 新大陸アメリカの人々にとってラムづくりは魅力的な商売であった。ラムは、バーボンやウィスキーよりも前につくられたアメリカで最初に蒸留された酒だったのだ。そして、魅力的な商売であったことが独立戦争のキッカケのひとつにもなったという。

 1733年、イギリス政府はイギリス植民地以外の土地からアメリカへ糖蜜を輸入することに対して、禁止的な高い関税を課すことにした。低価格で品質の良いフランス植民地からの糖蜜輸入の排除を狙ったのである。これによって密輸が増え、1764年には「糖蜜法」が生まれて密輸を厳しく取り締まるようになった。こうした政策がアメリカ独立戦争の原因のひとつになったいわれているようだ。

 その後アメリカでは、1807年に「糖蜜の輸入禁止令」、1808年に「奴隷取引廃止令」が施行され、アメリカ本国でのラム製造が終わり、代わりにウィスキー製造が盛んになっていく。